2007年08月06日

幽玄 の 美 ―八ヶ岳薪能

八ヶ岳薪能 を 堪能 して まいりました。

山梨県 北杜市 小淵沢町 に ある 身曾岐神社 ( みそぎじんじゃ ) で、
毎年、例大祭前夜 の 8月3日、 宵宮 の 神事 として 行われるものです。

去年 も チケット を 求めながら、完売 の ため 行けませんでしたので、
「 今年 こそは! 」 
と、思い入れ も いっそう 大きく、楽しみ に して おりました。

蓼科 で 用事 が あったため、会場入り は ぎりぎり の 4時15分。

まだ 夕暮れ とは いえない 日差し の 中、
砂利 を 踏みしめ 踏みしめ、進みます。
まわり の 大木 からは、 ヒグラシ の 大合唱。

座席 は、中央真正面!  ラッキー!
しかし、特設席 の 一番 後ろ でしたー。
これでは、舞台 の 演者 の 顔 を 見分けること は 出来ない。

と 思うと、ちょっと 残念 でしたが、
でも、会場全体 を 一番 高いところ から、すべて 見渡すこと が 出来ます。

野外 だし、舞台前 には 池 が あるし、ヒグラシ は 大合唱 だし・・・。
それでは、舞台 が 遠い 分、薪能 の 全体 の 雰囲気 を 楽しむこと に 致しましょう。

 CIMG1175.JPG   CIMG1176.JPG 


おごそかな 清祓 の 儀、大学 の 教授先生 の 解説 に 続いて

  ・能 『 清経 』 塩津哲生 宝生欣哉  他

  ・狂言 『 呼声 』 山本東次郎 山本則直 山本則俊

  ・能 『 船弁慶 』 友枝昭世 友枝雄太郎 宝生欣哉  他 


◆ 『 清経 』
の 時 は、まだ 夕暮れ に 遠く、
ヒグラシ も 舞台 の 囃子 と 一体 と なって、声高く 鳴き続けて います。

今回、薪能 二回目 の 経験 でしたが、
マイク を 通して 響く 言葉 に、前回 の ような 違和感 は 感じません。

1000人 ほど の 観客 が、能舞台 の 前 の 池 を はさんで、
特設席、芝生席、岩の上席 など に 座っていますので、
マイク の 音量 が なければ、聞き取れる はずもなく、

むしろ、清経( シテ ) と 妻( ツレ ) の 恨み の こもった 言葉 の やり取り は、
聞き取りやすくて ありがたかった です。


◆ 『 呼声 』 
は、山本三兄弟 に よる 緊密 な チームプレー。

「 平家節 」 「 小唄節 」 「 踊節 」 と、
次々 に さまざまな 節回し を つけて、呼びかけ と 返答 を する、
歌合戦 の 様相 です。

太郎冠者 山本東次郎さん の お声 は、とても いいですね。
それほど 力まず に、張り の ある お声 を 出して いらっしゃる。

小唄節 の 節回し など、う〜〜ん、お見事! と うなるほど です。

そして、返答 の たび に 出ていらっしゃる 立ち位置 と いうのでしょうか、
演じ位置 が、毎回、ぴたり と 同じ 場所 なのは さすがで すね。

中央真正面 の 一番 高い 座席 だから こそ、
普段 気づかない で 見過ごしていた 点 も、はっきり と 見えてくる 感じ です。


このあと、太陽 が 沈んだ 頃、
神職、巫女さんたち が、しずしず と 入場 してきて
かがり火 に 点火 します。
CIMG1181.JPG

薪 に 火 が 入ると、ぱちぱち と はぜて、薪 の 香り が ただよい、
灰 が 風 と 共 に 空 を 舞います。
CIMG1180.JPG

薪能 を 魅力的 だと 思える 瞬間 でしょうか。


我々 の 席 から ほんの 1メートルほど 左横 の 場所上部 から、 ライトアップ も 始まりました。
だんだんと 夕闇 が 迫ってきて、池 に 能舞台 が 映りはじめます。

なんという 幻想的 な 雰囲気 でしょう!!


◆ 『 船弁慶 』
は、こんな、幻想的 な 雰囲気 への 移行時間帯 に 始まりました。

ブログ お仲間 の fukuさん つきのこさん 一押し の 演者、 友枝昭世さん の 登場 です。

弁慶 と 静御前 の 橋がかり での やりとり、
一歩一歩 子方 義経 の もとへ 進む 静 の 足取り などは、
観客 の 目 を ひきつけます。

と いうよりも、観客 が、
池 を はさんだ 能舞台上 の 静御前 の 一挙手一投足 に
完全 に 吸い寄せられている と いうべきか。

全体 を 見回すと、緊迫した 空気 さえ 流れている。

白拍子姿 の 静御前 の 舞。 

ああー、これ が 友枝さん の 舞い なのねー。
重力 を 感じさせない、空 に 浮かぶ かのような、軽々とした 舞い。

どん、 と 床 を 踏みしめる 音 も ほとんど しません。
とにかく 軽い。

白拍子 の 静 に なりきって。

「 その 人物 そのもの に 見えてくる。 」
と いう 皆さん の 評 が わかるような 気 が しました。

舞 の 力 が いかに 大きいもの なのか、に 気づかされた 瞬間 です。 


後シテ 登場 前 の、
アイ ( 船頭役 ) の 船 の 漕ぎっぷり と、囃子 の 演奏 から、
嵐 の 中 ( クライマックス ) へと 突入 する 空間 と 時間 を、しっかりと 感じること が 出来ます。

観客 は 否応なく さらに さらに 引き込まれます。

この 時刻、いつのまにか 神社全体 は に 包まれ、
ライトアップ された 舞台 と、舞台うしろ の 大きな カラマツ と、
舞台 を 映す 池 の 水面 だけ が、
くっきり と 浮かび上がってきて・・・。

ライト の 道筋 には、薪 の 煙 が ただよい、
その中 で、灰 と 煤 と 虫 が 静かに 踊って います。

暗闇 の 中、もう ヒグラシ は ほとんど 鳴かず、
風 の 音 と ポツポツ と 降り出した 雨 だけ が、舞台上 の 嵐 を 予感 させています。

なんという 絶妙な、自然 と 舞台 の 調和 でしょう!!

そして、現れる 知盛 の 亡霊 ( 後シテ ) の 荒くれ姿。
友枝さん は、静御前 から 知盛 の 魂 へと のり移り・・・。

突然、亡霊 を 鋭く 斬る かのように 子方 の 凛 とした 高い 声 が !!

「 その時 義経 少しも 騒がずー 」

義経 の 言葉 が 舞台 に 響き 渡る 。
義経 の 剣 と 亡霊 の なぎなた が 激しく ぶつかる。

立ち向かう 弁慶 の、必死 の 祈り と
数珠 を 擦り合わす 仏法 の 音色 ・・・。

知盛 の なぎなた を 持った 舞 ( 攻め ) は、
前シテ と 対照的 に 荒々しい 武将 を 想像 して いましたが、
またしても、友枝さん は 軽々 とした 宙 を 舞うような 動き です。
重力 を 感じさせないのは、亡霊 だから でしょうか。


幽玄の美 」 とは、 このような 瞬間 を 指して 言う 言葉 かも しれません。

別世界 を 見ているのに、別世界 に 入っています。
友枝さん が 演じているのに、知盛 の 亡霊 が そこに います。


『 船弁慶 』 は、演出 も わかりやすく、テンポ も 軽快 で、
日本人 なら 誰でも よく 知っている 内容 ですから、
感情移入 しやすい と いうこと も あり、

それを、
「 一度 は 観て みるべし 」
と 言われていた 友枝さん で 観れた こと。

身曾岐神社 の 能舞台 という、すばらしい 環境 で、
薪能 の 雰囲気 を 体中 で 味わいながら 楽しめたこと。

・・・これは、まさに、

真夏の夜の夢 」  で  ございました〜。

CIMG1184.JPG



posted by ふじりんご at 15:14| Comment(16) | TrackBack(0) | 日本の美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月26日

茶箱・卯の花 と 茶の湯英会話

昨日は お茶 の お稽古 でした。

梅雨明け かと 思われた 暑い 晴天 の 中、
友人、わたし、そして 師匠 である 母 と、
全員 が 着物姿 で 集合 しました。

本日 の お稽古 は
茶箱・卯の花拝見有り




茶箱 は 好きな お稽古 です。
コンパクト な 箱 の 中 に、一切 の 茶道具 を 入れて、
どこへでも 持ち運んで お点前 が 出来る という 手軽さ が、好き です。

また、美しい 名称 も ステキ です。

夏 の 季節 の 「 卯の花点前 」
冬 は 「 雪点前 」  
秋 の 「 月点前 」 
そして 春 の 季節 は 「 花点前」

「 拝見あり 」 は、お棗お茶杓 の 拝見 に 加えて
茶筅筒茶巾筒振出し、から 茶箱 の ふた本体 と 
拝見 するもの が たくさん ありますから、
拝見なし 」 に 比べると、ぐっと 難しく なります。

ほどよい 緊張感 が ありまして、
けっこう 頭 を 使っている 感じ が します。 (笑)

それ が 証拠 に、
今回 は、写真 を たくさん 撮ろう と 思って 、
茶花 も、お菓子 も、茶箱 も、ぜ〜〜んぶ、写す 予定 でしたのに
いざ 始まると、カメラ を 取り出すこと すら、すっかり 忘れて おりました〜。 (苦笑)


そのあと、お稽古 終了後、着物 を 着たまま、茶の湯英会話 に 突入 です!


80歳 に なる 母 は、戦時中、英語 を 習うこと が 出来なかった 世代 です。
父親 ( わたくし の 祖父 ) は、戦前、長らく アメリカ に 渡っていた 人 なのですが、
その 影響 が あるのか、
はたまた 学校 で 「 英語 = 敵国語 」 を 禁止されて、習うこと が 出来なかったから か、
よほど 残念 だった か、無念 だったのでしょう。

ずっと、英語 が やりたい、英語 が やりたい、 と 言い 続け、
孫たち が ずいぶん と 成長した頃 に なって、
ついに、英語 の 勉強 を 始めたのです。

ほとんど 独学 です。
中学生 の テキスト を 買ってきて、
NHKラジオ を せっせせっせ と 聞いて、
広告 の ウラ に スペル を いっぱい 書いて、

そのうち、裏千家 から 出版 されている 英語 の 本 を 買って
茶の湯英会話 』 や 『 茶席 で 話す 英会話 』 など を 丸暗記して、
( なにせ、文法 は からきし ダメ みたいです。無視 を 決め込んでいます。 )

ついには、英語 で お茶 を 教えるように なったのです!
関西在住中 は、カナダ から の 留学生 に、カタコト の 英語 で
しかし、堂々 と お茶 を 教えていた と いいますから、驚き です。

お茶 の 英語 が 楽しくって たまらない とか!!

お茶 に 関して は 一応 プロ ですから、カタコト英語 でも、堂々 と したもの です。
しかし、一般英会話 と なると、まるで できない。
この 落差ったら!!

つまり 会話 の キャッチボール と いうわけ では なく、
一方的 に、英語 で 説明 する、と いう スタイル のよう です。


関東 に 引っ越して きてから も、英語 が やりたい、英語 が やりたい と 言い続けます。
そこで、NY在住 だった 友人 が、お茶 の お稽古 が 終わった あと、
今度 は 先生 に 早や変わりして、英会話 の レッスン が スタート するよう に なったのです。

80歳 ですから、今さら 普通 の 英会話 には あまり 興味 を 示さず、
どうしても お茶がらみ で やりたい みたいです。
しかし、まだ お点前 が さほど おぼつかない 我々 が、
英語 で お点前する と いうのも、どう 考えても ムリ が あります。

そこで、
茶 の 心 」 を 中心 に、

・和敬静寂 に ついて 
・お抹茶 が できるまで 
・お道具 の 素材 
・作法 や お点前 の 意味 
・お茶 の 精神性 に ついて  などなど

を、会話文 の 内容 から 学んでいます。

わたくし は、半分 付き合い、半分 傍観者。
ちょっと 台所 の 用事 に 立ったり、お紅茶 を 入れたり・・・。

もう1グループ、別 の 日 に お稽古 に 来ている 人 の うち、
米国留学経験者 とは、カタコト英語 を 使って お点前らしきもの を しているらしいです!!

来週、娘 が 帰ってきたら、なんだか 面白いこと に なるかも です。 (笑)



昨日 の 着物は、涼しげに、
絽 の 着物 + 葡萄柄 の 麻 の 帯。
CIMG1162.JPG
 

posted by ふじりんご at 10:40| Comment(31) | TrackBack(1) | 日本の美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月04日

歌舞伎 と 能楽  伝統芸能 比較 考

前回、歌舞伎 を 観たのは、確か 6,7年前 になります。
それも、東銀座 の 歌舞伎座 3階席 あたり でしたので、
ただ単に 雰囲気 を 楽しんだ だけです。

今回 は、あるホール で 行われる 年1回 の 貸し切り公演。
お席 も 1階 の 中ほど 中央通路寄り という とても 観やすい お席 でしたので、
じっくり と 拝見すること が 出来ました。

そういえば、このホール で 前回 観たのは、
片岡孝太郎さん の 襲名披露公演 でしたが、
まだ 私自身、伝統芸能 に さほど 興味 の なかった 頃 の 話。
その時 は、きっと もったいない 観方 を したこと と 思います・・・。

一、 歌舞伎 の みかた
二、 近松門左衛門作 平家女護島 『 俊寛 』
三、 お祭り 清元連中

出演、 石川右近 石川笑也 市川春猿 市川笑三郎 市川段治郎 市川猿弥 市川門之助 ほか


市川笑三郎さん と 市川春猿さん の お二人 が
面白おかしく 解説 を してくださる
「 歌舞伎 の みかた 」 に よって、
音楽、効果音 に ついて 学ぶこと が 出来ました。

◆ 歌舞伎 では、舞台上手 に 一段 高い 舞台 を 設置 して
義太夫 の 太夫 と 三味線 による 演奏 が 行われます。

◆ 舞台下手 で、太鼓演奏 を します。

◆ 舞台上手 で、「 付け打ち 」 という 効果音 を 出します。
見せ場 や クライマックス で、上手端っこ に 置いた 板 ( 付板 ) を 拍子木 で 打ち鳴らすのです。

◆ 芝居 の 合間 に 客席から 「 大向う ( おおむこう ) 」 という 掛け声 を かけます。
大向う が ない と 芝居 が 進行 できない、とまで 言われる ぐらい 大切 なもので、
屋号 に 加え、「 日本一! 」 「 待ってました! 」 「 ご両人! 」
など の 言葉 を
「大きな 声 で はっきりと 」 叫ぶ のです。

今回 は、市川猿之助 ( いちかわ えんのすけ ) 家 の 公演 でしたので、
「 澤瀉屋 ( おもだかや ) ー 」 、 と 叫ばなければ なりません!

◆ そして、客席 からの 拍手
幕開き に 始まって、登場、見せ場、見得、立ち回り など、
ことあるごと に 拍手 で もりたてます。

こうしてみると、能楽 との 違い は 歴然 です。
」 の 能楽 に 対して、
歌舞伎 は 「 ( にぎやか ) 」 です。

また 能 が 「 最小 の 動き 」 で あるのに 対して、
歌舞伎 の 「 派手 」 「 大振り 」 な こと!

さらには、色 の 使い方 も 「 シック 」、「 侘び 」色、「 さび 」色 を 旨 と するのが 能 なら、
歌舞伎 は 「 ど派手 」 「 鮮やか 」 と でも 言いましょうか。

とにかく、全体 が、元気 いっぱい なのですね。


『 俊寛 』 と いう お話 は―、

平清盛 に 反抗 し、謀反 を 企てた 俊寛 が、
仲間 と 共 に 都 から遠く 離れた 鬼界ケ島 に 流されます。
後日、他 の 仲間 は 許されて 都 に 戻ること に なりますが、
俊寛 のみ が 許されず に 島 に 残される こと に。
その後、情 に 厚い 重盛 の 使い が やってきて、
俊寛 も 帰る こと を 許されます。
しかし、俊寛 は、離れ離れ に なってしまいそうな 若い 恋人たち の ために、
自ら は 島 に 残る 決心 を する、 と いう お話 です。
( 途中、ずいぶん な 省略形! で 失礼 )


能 にも 同じく 『 俊寛 』 が あります。

「 平家物語 の 中 でも、究極 の 悲劇 」 として の 位置づけ も 一緒です。

しかし、

● 俊寛 が 都 に 戻れないこと を 知って 嘆く 場面、
● 俊寛 が 都 から 来た 使者 と やり合って 切って しまう 場面、
● 極めつけ は、船 が 出港 した あと、一人 残された 俊寛 が 狂ったように 嘆き 悲しみ、岩 の 上 から 船 の 影 を ひたすら 見つめ続ける 場面、

歌舞伎 での 演技 は、とにかく 派手、大げさ な ジ ェスチャー です。

「 観客 に 観せる 」
「 観客 を 魅せる 」 を、
大変 分かりやすいように くふう しているのが よく わかります。

能 だったら、
「 己 の 心 の 中 で 情景 を 捉える 」
「 己 の 心 の 中 に 想像 を めぐらす 」 ような 演出 ですから、

「 静 」 「 シンプル 」 な 演技 の 中 に こめられた 俊寛 の 嘆き 悲しみ を、
観る 人 それぞれ が 心 の 中 で 反芻 しなければ なりません。


■ 能 は、心 の 内面 の 動き を 知るために、一挙手一投足 見逃さず に 追わなければ なりません。

■ 歌舞伎 は、事柄 の表象 を はっきり と しっかり と ( 大げさに ) 表す こと に よって、感情 の 動き まで 容易 に 把握 すること が 出来ます。

同じ 伝統芸能 でも、その コンセプト も 方法論 も 全然 違う のですね。

どちら が いい、と いう 問題 では ありませんが、
それでも やはり 感じるのは、

★ 能 = 不言実行型 の 武士
★ 歌舞伎 = 感情 豊かな 庶民

と いうような 比較 相違 の 構造 でしょうか。


最後 は 『 お祭り 』 。

江戸風俗 を 描いた 『 お祭り 』 は、軽快 で 粋 な 舞踊 です。
女形 の 芸者 と 活き の いい 鳶頭 ( とびがしら ) たち の 踊り は、
いなせ で あでやか !!

TV 「 さんま御殿 」 など で、
オカマチック な 雰囲気 を 振りまいている 市川春猿さん の 芸者姿 は
さすがー! でした。

ついさっき、悲劇 の 真っ只中 に 居た 人 が、
今度 は ガラっ と 変わって 軽快 な 踊り を 観せて くれました!


それにしても、お能 は、何回 観ても、わからない こと だらけ。
歌舞伎 は、一度 観れば、楽しめる。

さあー、この先、どのように 日本 の 伝統芸能 に 接していきましょうか???

posted by ふじりんご at 14:57| Comment(16) | TrackBack(0) | 日本の美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月20日

昨夜 は 薪能、 今夜 は JAZZ

昨夜は 杉並区 の 大宮八幡宮の杜 薪能 を 観に行きました。

午前中 降っていた 雨 も 上がり、とても 気持ちのよい 五月晴れ と なりました。

午後6時 の 火入れ の 時 は、まだ 明るい この季節。
さわやかな そよ風、
見上げると 大木 の 葉っぱ が 空いっぱい に そよぎ、
木々 の あちこち で 鳥 が 啼き、
夕暮れ時 の 涼やかな 空気 が 満ちて、
本当に 気持ち よかったです。

薪の火ぱちぱち と はぜて、
木 の 燃える香り が 漂います。
ぱちぱちぱちぱち、すす も 時々 飛んできて。
暖炉 の 火 が 好きな 私 は、音 といい 香り といい その似た雰囲気 に とっても 満足。


舞囃子 ・ 熊坂 』 野村章司

狂言 ・ 蝸牛 ( かぎゅう ) 』  シテ:山本泰太郎 アド:遠藤博義、山本則秀

能 ・ 三輪 』  シテ:野村四郎 ワキ:殿田謙吉 間:山本則秀
大鼓:佃良勝 太鼓:小寺真佐人 小鼓:大倉源次郎 笛:八反田智子


「 熊坂 」での、鎌 を 持っての 舞 は
とても ダイナミック で、とても 勇壮 でした。

「 蝸牛 」 は お馴染み の 楽しい 狂言。
「 でんでん むしむし・・・ 」 の 歌 は 見終わってから、
口ずさんでいる人 も 多く、
本当に 心に インプット されやすい わかりやすい 狂言ですね。

能 の 「 三輪 」。
三輪山伝説 に 基づく 神様 を 題材にした 能。

大和国 三輪の里 に 住んでいる 僧 のもとに 毎日 樒( しゅみ )・閼伽( あか ) の 水 を 持ってくる 女性 が いた。
ある日 この女性 は この僧 に 一重 を 欲しい と 願い出る。
僧 が 不思議 に 思い、女性 に 住まい を 問うと 女性は
「 我が庵は 三輪の山もと 恋しくは 訪ひきませ 杉 立てる門 」
と 詠み、杉 立てる門 を 訪ね来て 欲しい と 姿 を 消す。
僧 が 三輪の神垣 の 内 にある 二本の杉 に 行って
先程 女性 に 与えた 衣 を 見つけると
三輪の神 が 現れ、
三輪の神話 を 物語り、
神楽 を 舞い、
自分の罪 を 救って欲しい と 乞う。
そして 夜の明ける のと共に 三輪の明神 は 消えてしまう・・・。

神様 の 自分 の 罪 とは、
神 も 衆生 を 救うため しばらく 迷い 深い 人間 の 心 を 持つことが あるので、
その罪 を 助けてほしい と いうことだそうです。

また、三輪山伝説 とは、簡単に 言うと、
「 毎夜 通ってくる男 に おだ巻き を 付けて 後をつけると、
はたして 三輪の神 であった という 伝承 」 です。
性別 を 逆 にしたのが 「 羽衣伝説 」 ですね。

三輪明神 は 男神 と 言われていますが、
実 は 女神 で、
同じく 女体神 である 伊勢 の 天照大神 と 一体である ことを説く という内容 の 能 であり、
中世 に 展開された 三輪神女体説 に 取材した 能 だそうです。

神社 の 中 で 行われる 薪能 ですから、
神様 を 題材 にした 能 が 相応しい ということでしょうか。

しかし、しかし・・・。
現代 の 薪能 は 皆 このようなものなのでしょうか。

シテ が 面 の 中 で しゃべる 言葉 が、
全部 マイク を 通して 聞かされるのです。
これには、かなり の 違和感 が。

一度も こんな 経験 したことがなかったので、
シテ の しゃべる 言葉 は 聞き取りにくくて 当たり前 と 思っていたところ、
他 との バランス を 欠いた とても 大きな 音声 で 聞こえるものだから、
なんとも へんな 感じです。

もっとも、マイク が なかったら、屋外 での 上演、平素より もっと 聞き取れないわけで、もっともな 対策 なわけですが。

おまけに、だんだん 寒くなってきて・・・。
そよ風 ではなくなって、冷たい 風 が 頬 を なでていきます。
「 ぶるぶるっ 」
「 ちょっと 寒いねー 」
という 雰囲気 の 中、

さらに いただけなかったのは、
何度 も 何度 も 上空 を 横切る 飛行機 の 轟音

思わず 空 を 見上げてしまうぐらい、飛びます、飛びます!
ワキ の 方 の お声 が 全く 聞こえなかった時 も ありました。

やはり、現代 の 薪能は、
マイク やら 飛行機 の 音 やら が まじって、
昔、農作業 の 終わった 夜 に 村人達 が 集った 能鑑賞とは、
ずいぶんと 様相 が 異なっているようで・・・。

寒さ 対策 のため 帰路 に 入った レストラン で
すっかり 時間 を つぶしてしまい、
帰宅したら 11時 を とっくに 過ぎていました。

八月 の 八ヶ岳薪能 は、寒さ対策 が 必要 だと 痛感した 次第です。
八月 とはいえ、標高1500メートル級 の 場所 ですから。

CIMG0910.JPG


CIMG0906.JPG



今夜 は、うって変わって、JAZZ の 夕べ
ブルーノート東京 へ、行って来ま〜す!





posted by ふじりんご at 14:00| Comment(18) | TrackBack(0) | 日本の美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月28日

国立能楽堂 蝋燭能 「 西行桜 」

4月26日夜
国立能楽堂 にて 蝋燭能 「 西行桜 」 を 鑑賞しました。
能楽堂内の 照明を すべて落とし、蝋燭 を 30本 立てます。
液晶画面の 字幕 も 使いません。
開演後は、途中入場 できません。( 通常は OKです )

CIMG0847.JPG
休憩時間の様子


 ◆狂言 真奪 ( しんばい ) 和泉流
 ◆能 西行桜 ( さいぎょうざくら ) 金春流

『 狂言 真奪 』
いけばなの 一種、立花 に 使う 真 ( 中心となる 枝 ) を 探しに出た 主人と太郎冠者 は、見事な真 を 持つ男 に 出会います。

主人が あれを 欲しいと 言い出したので、太郎冠者が 奪い取ります。
もみ合いを しているうちに 主人の 大事な 刀 を 逆に とられてしまいます・・・。

刀を 奪い返すために、男の 後ろから 羽交い絞めにした 主人が、早く 縄を 打て と いうと、もたもたとした 太郎冠者が あやまって 主人に 縄を 打ってしまい、男は さっさと逃れて 立ち去ってしまいます。

とても 短い 狂言。
泥棒 ( 本当は 泥棒 ではないですね。先に 自分たちが 勝手に 男の 真を 奪ったのですから。 ) を 捕らえて あせる 主人と ゆっくりと 縄を 綯っていく 太郎冠者の 対比 が 面白いところです。

「 泥棒を 捕らえて 縄を 綯う ( なう ) 」 という ことわざ が ありますが、まさに それを 舞台上で 実際に 行う 狂言です。



『 能 西行桜 』
あまりの うつくしさゆえに、花見客 の 喧騒 を 招く 桜の花。
西行法師が 桜の咎 を 責める 和歌 を 詠むと、年老いた 桜の精 が 抗議に 現れます。

京都の 名所の桜 を 語って その景色の 美しさを 讃え、
「 春宵一刻値千金、花に 清香 月に 影 」
と 移ろう時 の はかなさを、さびさびとした 舞 で舞い、やがて 夜明け とともに 姿を 消します。


蝋燭の 薄明かりの 中、シテ も ワキ も 薄い チョコレート色 を基調に オレンジ色を 混ぜたような ( なんとも へんな 形容ですが、なんという お色目 かしら? ) とっても 美しい 装束 です。

その 落ち着いた 色から、老桜の精 と 西行 の、どちらも 若くはない 渋み と 華やぎ を 併せ持った 「 枯淡 の 美 」 と いう感じが うかがいしれます。

京都の 名所の 桜を 連ねて 謡い、短い春 の 季節の 移ろいを 哀しみ、とどまることを 知らない 時 への 哀惜 と 惜春 の 念 を かかえて 静かに 静かに 舞います。

夜桜の 花見客も いなくなり、夜が 明けるまでの 時間を 惜しむかのような、老桜の精 の 序の舞い。

まるで、明け方に、桜の木を 独り占めにして 木の下 から 風に そよぐ 満天の星 ならぬ 満天の桜 を 愛でているかのような、そんな 錯覚さえ 覚えてしまいます。

・・・蝋燭 だけがたより の 舞台 は、幽玄の美 の 世界 に 私たちを 運んでくれました。



今回は、蝋燭の 薄明かりの 中、「 詞章 」 を 見ることも 「 字幕 」 を 見ることもで きなかったので、帰宅後、じっくりと 読んでみました。



この作品に 登場する 京都の 花の 名所。


・近衛殿 の 糸桜   ⇒ 京都御苑 「 近衛邸跡 の 糸桜 」
・千本 ( ちもと ) の 桜 ⇒ 大報恩寺 千本釈迦堂
・毘沙門堂 ⇒ 樹齢150年 の しだれ桜 で 有名な 山科区 の 毘沙門堂 
・黒谷 ⇒ 黒谷 金戒光明寺
・下河原 ⇒ 八坂神社?
・華頂山 ⇒ 知恩院
・鷲のお山 ⇒ 双林寺
・音羽山 ⇒ 清水寺
・嵐山 ⇒ 戸無瀬の滝



そして、この作品の 舞台 となったのが、西京区大原野 にある 勝持寺 ( しょうじじ )

勝持寺は 「 花の寺 」 とも 呼ばれ、今も 西行桜が あります。

本当に 京都は、桜の 名所揃い ですね。

桜で 有名な お寺 の オンパレード です。

今、桜 というと 多くの人が 群がるかのような 「 お花見 」 が 普通ですが、その昔、 まだ ソメイヨシノ が 全国的に 広まる前の 桜 といえば、山桜 が 中心であり、昔の 花見 というものは、原則 「 一本 花見 」 だったそうです。

そして、「 花見 」 は また  「 桜狩 」 と いう 言葉でも あらわされ、 山桜を 探し求めて 山を 越え、川を 渡りして、初めて 「 桜を 愛でる チャンス 」 が 得られるものだったそうです。

西行は  「 花見んと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の 咎にありける 」

と 「 桜の美しさ 」 の せい にしますが、これも ひとえに、 なぜか 桜に 惹かれる 日本人 の DNA の なせる業 なのでしょうか。

実際には、桜の咎 と 思う人は いるはずもなく、とにかく 「 美しい 」 と 感じる。

「 桜 の 命 の 短さ 」 ゆえ、その 美しさに よけいに 惹かれるのは、日本人の 独特な 感性なのか、 世界中の 人も 同じように 感じるものなのでしょうか。

西行の時代 から 千年近くを 経た 今も やはり、変わらぬ 風景、変わらぬ 感性 が 続いています。

CIMG0850.JPG
終演後の様子


藤 の 季節 なので、本日の 着物は
うす紫 の 紬 と 龍村 の 光波帯 で。


CIMG0859.JPG CIMG0862.JPG
posted by ふじりんご at 16:24| Comment(14) | TrackBack(1) | 日本の美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月17日

画期的な帯結び―ほんと〜にカンタン!

1月に、帯の結び方について、すごい方法を見つけた、と書きました。
→ 「着物を着たいけれども、帯が・・・」

そして、[特製ダブルクリップ]
を 3個買いました。
→ こちらのお店です。
 
送料が400円ほどしますので、1個買うのはもったいなく、友人の分と合わせて6個買いました。


さっそく、友人と二人で この 「 折り帯 」を 試してみます。

あまりの 簡単さに、しばし 唖然!

「 いいの? こんなに 簡単に出来て? 」
「 着付け教室は いったい なんだったの? 」


この方法 を 考案した「 浅野呉服店さん 」 の ご主人? ご隠居さん?
表彰ものですよ〜〜!


それでは、「 折り帯 」 の 作り方講座 です。

用意するもの
特製ダブルクリップ1個(幅5cmのもの)  洗濯バサミ大3個
CIMG0688.JPG


@ 袋帯の 垂れから 80cm を 測り、その倍の 160cm を 取る。( ブルーの 洗濯バサミを つけた位置です )
CIMG0678.JPG

A 残りの帯を 半分に折って、160cmのライン で 三角 を 作る。
CIMG0681.JPG

B 半分に折った帯( 胴に巻きつける部分 )を 三角から 右側に倒す。
CIMG0682.JPG

C 半分に折った帯 の 先端( 手先 ) を 持って、三角の下 を くぐらせ、三角の左側 に 持ってくる。
CIMG0683.JPG

D この 左側部分が 手先として お太鼓の中に入れる 部分に なります。
長さは 帯幅+4cm ほど。
( 注:赤いクリップは 三角の頂点 = 背中中心の位置 を 指しています )
CIMG0684.JPG

E 半分に折った帯 の 右端は 輪っか に なっています。
すなわち、胴に巻きつける部分 の 二重の帯 が もう ここで 出来ています。
帯〆 で 胴回りを 測り、三角の頂点の位置から 右端の輪っかまで が、胴周りの長さ となるよう 調節します。
その 丁度真ん中 を 洗濯バサミでとめる。
ここが 前中心の位置 です。
お太鼓柄 の 時は、この位置に 柄が 来るように 合せます。
CIMG0687.JPG

F 胴回りの長さを測って 余った帯 は 三角の頂点のあたり に 寄せてきて、たたみ込みます
CIMG0686.JPG

G ここで、クリップ登場。余って寄せてきた帯 と 三角 を 一気に クリップで 挟みこみます。
CIMG0689.JPG

H 垂れの 長さを 決めて、お太鼓 を 作り、帯揚げ、帯枕 を セットします。
CIMG0691.JPG

I 左側の 手先部分を お太鼓の中に 入れ、帯〆を セットします。
CIMG0692.JPG

J 垂れを上にあげて お太鼓部分 を 全部まとめて、洗濯バサミで はさみます。
もう一つの洗濯バサミ で、帯〆と手先部分 を とめます。( 写真左側の洗濯バサミ )
CIMG0693.JPG

K 右側の 結ぶ帯部分 に 帯板 を 入れ、準備完了です!
CIMG0694.JPG


L お太鼓を 背負って、帯揚げ帯枕を あごの下あたり で 仮結びします。
M 結ぶ帯の 先端( 輪っか ) を 指にかけて、しっかり 帯を 締めます。帯〆を結んで、帯揚げも 結びなおして 整えます。
あら、もう出来上がり!!


「 ホントに、こんなに 簡単なの? 」
「 うそみたい! 」

「 お太鼓の中、完全に スッキリ状態だわ〜 」
「 ぐちゃぐちゃに なってな〜い! 」

そうです。
クリップを とめることで、帯は 完全に すっきりと 折り畳むことが 出来たのです!
お太鼓は 先に 折り紙みたいに セットしてしまうのです!
手先も 先に 作ってしまうのです!
帯を 二重に 胴に 巻きつける部分も、先に 作ってしまうのです!


こんな発想、信じられませ〜ん。


そして、片付ける時は、帯揚げ、帯枕、帯〆 を 抜いて、でもクリップはとめたまま、お太鼓部分の帯を 裏表 にして くるくるっと 半幅帯部分に 巻きつけておけば、このまま 箪笥に 入れることが 出来ます。
次に着付ける時も、らくち〜ん、ですよね!
CIMG0677.JPG  



ちなみに 名古屋帯 の時は、三角を作る位置 を 垂れから 約90cm の ところにするだけです。
袋帯の時よりも、もっと簡単にセットできてしまい、本当にらくち〜んです。

こうして、友人と二人 わたしたちは、余裕で着付けを済ますことが出来、余裕で能楽鑑賞に出かけたのでした・・・!!!




posted by ふじりんご at 01:06| Comment(12) | TrackBack(4) | 日本の美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月08日

三月の国立能楽堂 「若菜」「蟻通」

昨日、三月の定例公演 を 鑑賞しに 国立能楽堂へ。

・狂言 「 若菜 」( 和泉流 )
・能 「 蟻通(ありどおし) 」( 観世流 )

国立能楽堂で 初めて の、一番前の席 です。
近視の わたくしですが、さすがに よく 見える。

■「 若菜 」
野遊びに 来た 男たちが、若菜摘み に 来ていた 大原女たち と出会い、歌舞 や 酒宴 で ひとときを 楽しみます。
うららかな 野辺の 情景と のどかな 時間の経過 が、春らしい叙情 を 感じさせてくれます。

途中、ちょっと 眠気が・・・。
ところが、一番 前の 席のため、アド/果報者役 の 野村万作さん と バッチリ 目が 合ってしまうのです!
まずい! と 思いながらも、また ウトウト。
だって、舞台の 中も 外も、のどかな 春 なんですもの。

■「 蟻通 ( ありどおし ) 」
歌人 紀貫之 が 和泉の国の とある里 近くまで 来た時、急に 日が暮れ、大雨が 降り出して、乗っている馬も 倒れ伏してしまいます。
そこへ、傘を さし 松明を 掲げた 宮守の老人 が やってきます。
ここ 蟻通明神 の 中に 馬に 乗ったまま 入ってしまったため 明神への 礼を 欠き、神の怒り に 触れたのだろう と 言われてしまいます。
和歌 を 詠むこと で 神は 心を 和らげ、馬も 元気に 立ち上がり 貫之たちも また 旅立ちます。
和歌の徳 を 讃えた 能 です。

2月の 能楽レクチャー で 村上先生から
「 『 蟻通 』は、とっても 『 渋い能 』 です。 が 見る 能 です。」
と 言われて ビデオ付きの レクチャーを 受けていたので、それでは ちょっと 『 渋い能 』 にも チャレンジしてみましょうということで、今日の 鑑賞と なりました。

しかし、とても 静かな中にも 華やかさのある 能 だと感じました。
紀貫之 が ワキ であり、ほとんど 貫之を 主人公にした 能 のため、ワキの登場からして 堂々とした オーラ に 溢れています。

さらに、宮守の 老人が 「 」と「 松明 」という 小道具を 持って 登場するというのも、普通なら 象徴的に表現する、いわゆる シンプル を 是 とする 能の 中では 特殊 なものであり、ビジュアル的にも 楽しめます。

最後に シテが 退いたあと、次に ワキが 退きますが、このときも 「 貫之が扇を開いて回す 」という 動作を します。
ワキの 退き方 としては いつもと 違って 印象的 というか、歌人貫之に 対する 別格扱い が はっきりと 分かる 演出です。

村上先生は 『 渋い能 』 と おっしゃいましたが、渋さを 感じるよりは、むしろ なかなか 華やか、凛々しい、精神性 の 高さと いった空気が 大変心地よく、和歌の徳 を 盛り込んだ 品位ある作品 だと 感じました。

春の陽気 に 誘われて、友人と二人 お着物 で まいりました。
着物を着て 車を運転 という 大胆な 行動も、すっかり 定着して おりまする。
posted by ふじりんご at 12:25| Comment(12) | TrackBack(0) | 日本の美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月17日

2月の能楽鑑賞 「財宝」「野守」

本日は 国立能楽堂2月定例公演 を 鑑賞してまいりました。

◆狂言・大蔵流 「 財宝
◆能・金春流 「 野守

img006.jpg



◆「 財宝 」・・・「 財宝 」 という名前を 持つ 長寿で 大金持ちの 祖父に 名前をつけてもらうことで、長寿の 幸せに あやかろうとする 孫三人 の お話。
酒宴となって、祖父が 舞った後、孫たちの 手車に 乗って 拍子に かかりながら、つけてあげた 孫の名前を 繰り返し 繰り返し 囃します・・・。

すごく 笑える 狂言でも ないけれども、ほんわかとした めでたさと うきうきした リズミカルな 囃しは、楽しい 舞台に なっています。

孫に つけてあげた名前が 「 興(きょう)がり 」 「 ま興(きょう)がり 」 「 おもしろう 」 と いうもの。
祖父の おおらかさと 楽しい雰囲気が 伝わってきますね。

祖父役の シテは 「 祖父(おおじ) 」 と いう を つけて 登場しますが、いかにも おじいさん という にこやかで ちょっと とぼけた 感じの お面は、狂言ならではの 面白さでした。


◆「 野守 」・・・大和春日野 を 守る 野守の 老人が、自分たちのような 野守が 朝夕 姿を映すので「 野守の鏡 」 と いわれている、近くの 水のことを 話します。
また 昔 この野に 住んでいた鬼が、昼は 人間の 姿となって 野を守り、夜は 鬼となって この塚に 住んでいたが、その鬼が 持っていた 鏡のことを 「 野守の鏡 」 と 言うのだとも 語ります。
後半、老人は 本性である 鬼となって 現れ、天上界から 地獄までを フシギな 鏡に 映し出してみせます。


といっても、怨霊や 執心が 生み出す 心の鬼 ではなく、大自然の中に 生息する 純然たる 鬼神 が 主人公なだけに、その姿は 大きく 颯爽としており、手に 持つ 鏡が 宇宙を 映し出す 異次元への 入り口のような、なんだか すごい スケールの 大きさ迫力 を 感じさせます。
前半の 老人の 弱々しさとは 打って変わった 激しい 動き に 圧倒されます。

鬼の 持つ 凄まじい 雰囲気や 恐ろしさ と いった印象は 全くなく、人間の 心理や 感情も なく、むしろ 自然界の というか 宇宙の摂理 のようなものを 謳いあげる、それも 鬼をして 淡々と謳いあげる、と いうような 舞に 感じました。


それにしても、舞台上前シテから 後シテに 変身 するのは、さぞ 大変な 作業だと いつも 思います。
アイの 語りの時間 というのも 限られているし、10分ほどの間に 質素な 老人の 姿から、荒々しい 派手な 鬼神の 姿に 変わるのは、どんな 流れなのでしょうか。
つまり、着替えと 同時に 気持ちの入れ替え を、舞台上で しなければならない、というのは、一旦 下がる場合と 比べて やりにくい部分も あるのでしょうか。

お能に 詳しい 皆様、ご教授くださいませ

posted by ふじりんご at 01:03| Comment(10) | TrackBack(0) | 日本の美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月24日

着物を着たいけれども、帯が・・・

先日、母のところで 今年初めて お茶のお稽古 が ありました。
以前なら、初釜の日、たくさんのお弟子さんたちが 着物姿で 訪れる日ですが、母が 関西から関東に 居を移してから、今はもう ボランティア的なお稽古 だけです。

その日は、都合で 友人とわたしの 二人だけ。
ニューイヤーコンサート、新春狂言、どちらの日も 雨のため 洋装で 出かけましたので、この日、やっと着物を着る ことが出来ました!
他のお弟子さんは いなかったので、また私的には 身内 ですので、気軽に 小紋 です。

CIMG0521.JPG   CIMG0517.JPG


一昨年、友人と 無料の 「 着付け教室 」 に 10回通って、なんとか 着物が 着れるようになりました。

丁度 終了したのが 5月でしたので、 の 季節、 の 季節も 頑張って着て、浴衣 も 着て、秋からは と 続き、かなり練習になりました。

ところが、去年、チェロの 弾き過ぎか? 単なる 年のせいか、左肩を 痛めてしまい( 50肩?、40肩? )、帯を 結ぶのが ちょっと 難しくなりました。

でも せっかく 習った 着付けを また忘れてしまうのも イヤだし、何とか 楽に 帯を 結べないものかと 案じていた時に 知ったのが 「 前結び 」 です。

前結び用 の 帯板 「 くるピタ! 」も 購入し、呉服屋さんで 教えてもらった 「 前結び 」。
う〜ん、これは、便利!
この結び方だと、着付け中に 背中の お太鼓 が くずれません。

着付け教室で 習った 従来の 方法だと、後ろが よくわからないため、左右の 高さが 微妙に 違ったり、あるいは ずれたり、手先 の 処理が うまく出来なかったり・・・。
失敗する時も 多々あり、時間が ないときなど あせること この上なし なのですが、
「 前結び 」だと、お太鼓の 左右の 高さ調整、たれ の 微調整 などが、鏡を 見ながら 簡単に 出来ます。

この 前結び、いいかも ! と 思いました。

ところが、実際には、お太鼓に関しては 前で作るため きれいに出来ますが、帯〆 と 帯揚げ を うしろで ぎゅーっと 結ばなければいけません。
これが、なかなか 大変なのです。特に、50肩?40肩 の わたしには ちょっときつい。
左手が うまく 後ろまで 回ってくれなくて、無理して 回そうとすると、痛い !

痛い ! という 経験を 何回かすると、着物を 着付けるということも 「 前結び 」も 敬遠 するように なってしまいました。

今回の お茶の時は この「 前結び 」 を したのですが・・・。
結果は、久し振りの 帯結び、一回目 は 失敗。
二回目にして 何とか 形をつけましたが、やはり 満足できるような 出来ではない。
肩も ちょっと 痛い。
あ〜ぁ、新春早々から。
その日、私の 着物姿を 見るのは、母と 気心の知れた 友人だけ とはいえ、なんとも・・・。

友人も「 前結び 」 は いいけれど、でも もう一つ すごく 結び勝手がいい とは 思っていないようです。

コシノジュンコさん だったか、コシノヒロコさん だったか、海外で 着物を 着る機会の多い 有名デザイナーさんは、すべての帯を 「 作り帯 」に 直してもらって、すぐに 着付けられるよう 用意してある という話を 聞きました。

「 私たちも、作り帯に 作りなおしちゃおうか。 」

作り帯だと、どんなに 簡単に 着られることか!
昔、子供の頃、お正月に 作り帯を しめてもらった 記憶が ありますし、浴衣の 時など 今でも 作り帯を 売っていますよね。

「でも、箔帯 などの 袋帯は 切ってしまうのが 忍びないよねぇー。」
「せっかくの 帯だしねぇー。」

それもそうです。
どうしようかなー。
このままだと、着物 もっと着たいのに、なかなか 気軽に 着れないし、肩は すぐに 良くなりそうもないし・・・。


と、見つけたのです!
なに これー!
こ〜んな 方法も あったんだ!
へぇー、画期的 じゃない、これって!

http://www.rakuten.co.jp/asanoya/439913/427645/447145/

すごいですよ〜。
折り紙 ですよ〜。

と 言う訳で、さっそく チャレンジしてみよう と 思います!
うまくいったら、報告できるかも、です!
posted by ふじりんご at 23:18| Comment(18) | TrackBack(0) | 日本の美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月19日

野村狂言座 の 新春狂言

1月は 新年ということで、新春狂言 を 楽しんでまいりました。
本郷一丁目にある 宝生能楽堂 にて、『第37回 野村狂言座』です。

プログラムは、
・素囃子 『男舞(おとこまい)』
・狂言 『大般若』
・小舞 『七つ子』 『暁』
・狂言 『文蔵』
・狂言 『六地蔵』

です。

img004.jpg


重要無形文化財野村万之介さん をはじめ、万作さん萬斎さん裕基くんの親子3代、野村一族が勢ぞろいです。

・狂言 『大般若』
神子(みこ)が 毎月 神楽を上げることになっている信者の家へ 出かけ、供え物の 準備を 待っていると、やはり 毎月 祈祷に来ている僧が やってくる。僧は 読経を 始める。神子も 神楽を 始めるが、僧は、神楽の 鈴の音が うるさくて 読経できないと 文句を 言い、神子は うるさくて読めないくらいなら 読経などするな と反論する。
信者から、神楽を 気にせず 経を読むように、ととりなされた僧は、神楽の横で 読経を 再開するのだが・・・。
僧が、商売敵のはずの 神子の 神楽に しだいに 引き込まれていくところが 見どころの 一つ。

・狂言 『文蔵』
太郎冠者が 自分に内緒で 旅行してきたことを 怒った主人は、叱ってやろうと 太郎冠者の家に 行く。太郎冠者が 都見物をしがてら、都に住む 主人の伯父のところへも 挨拶に 立ち寄ってきたというので、主人は 許し、都の様子を 話させる。太郎冠者は、伯父の家で 珍しいものを ご馳走になったが それが何であったか 思い出せない。
主人の愛読書 「 源平盛衰記 」 の 石橋山合戦 の 件に 出てきたものだったと 思い出したので、主人が 語ってきかせるが、なかなか それらしい箇所が 出てこなくて・・・。
主人の 「 源平盛衰記 」 の 語りの部分は その部分だけでも 楽しめる。
だんだん 語りのテンポが 早まり、主人は 本来の目的を忘れて 語りに 没入する。

・狂言 『六地蔵』
新しく 建立した 辻堂に 安置する地蔵像を買い求めようと 田舎人が 都へやって来る。「 仏買おう 」 と 大声で呼びかけながら 都を 歩き回る田舎者を、出会ったす っぱが、自分は仏師だ と名乗り 明日までに 六体の地蔵を 作ってやろうと 約束する。田舎者と 別れたすっぱは、仲間三人と 田舎者を だます相談を 始める。三人は 地蔵に化け、田舎者を 言いくるめて 六体あるかのように 見せかけようとするのだが・・・。
だますつもりの すっぱたちだったが、うまくだませず、あわてふためきぶりが 派手で 賑やかな点が 面白い作品。


だいたい 狂言は、古文ではあっても 話し言葉のため、わかりやすく、能よりも 入っていきやすいです。
動作は コミカル派手なジェスチャー も わかりやすく、笑い声も あちこちから 聞こえてきます。

『 文蔵 』は、万作、萬斎親子 の 共演でしたが、主人を演じる萬斎さんの お声の いいこと!
まるで、オペラ歌手 のような 声量と メリハリです!
また 節回しは、ちょっと 歌舞伎のような 感じで、かなりの 誇張 が あります。
それだけに 「 源平盛衰記 」 の 語り芸 は、見事ですね!
この人は、ハムレット のような西洋劇を こなされているだけあって、ちょっと 枠を超えたような 大きさを 感じます。

七つ子』を舞った裕基くん、りりしくてういういしくて、とても可愛かったです。
でも大きくなるのは早いもの。今小学校の3年生ぐらいでしょうか。
すぐにお父さんの萬斎さんを追い越すような背丈になり、師匠を越えるような若手狂言師になるのでしょうね・・・。

さてさて、この日は夜の公演でしたが雨が降る寒い日でして、着物は またしても パス となりました。
残念!


CIMG0510.JPG

CIMG0512.JPG

CIMG0511.JPG
posted by ふじりんご at 18:50| Comment(12) | TrackBack(0) | 日本の美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月10日

着物 を いただきました 

娘を可愛がってくださっていた熟高年ご夫婦から、お着物を頂戴しました。

そちらの お嬢さまのために、沢山の お着物を 仕立てたそうですが、若い人の 例の如く、仕付け糸を 取らないまま の、一度も 袖を 通していない お着物が、箪笥に 一杯ある とのこと。

そのお嬢さまは、14歳で アメリカに 渡り ホームステイをしながら、中学、高校、大学と通い、アメリカで 結婚もされて、今では 在米25年 になるそうです。

アメリカで 必要になるかもしれないとの 親心から 沢山 仕立てられたのだと思いますが、それこそ 20年も 箪笥のこやし になっているので、うちの娘に 着てほしい と言ってくださったのです。

ところが、いただいた お着物を 拝見して、ビックリ!

●一つは、古代更紗 の 着物。落款入り です。

CIMG0388.JPG

●次が、絞りの袋帯。これも 落款入り

CIMG0390.JPG   CIMG0396.JPG

着物か 帯か どちらかの作者が 人間国宝 だという。
(電話で 聞いていて、あまりのことに 驚き、どちらが そうだったのか わからなくなってしまいました!)

●そして、最後が、川島織物箔の袋帯

CIMG0394.JPG   CIMG0395.JPG

川島織物なんて、私は 一枚も 持っていません!
それを、娘に 下さると言う。

「 いいえ、いただくことは 出来ません。 」
「 こんな 高価な お品を、娘が いただく 道理が ありません。 」
と、何度も ご辞退 申し上げたのですが、

「 これまでも、そしてこれからも、どうせ 箪笥の こやしに なっているだけなのですから、どうぞ 使ってください。 」

「 ・・・・・・・。 」

でも、うちだって、純和風好み の 娘かと言うと、ぜ〜んぜん そんなことはなく、今どきの 娘です。場所が 変わるだけで、今度は うちで 箪笥のこやし になってしまいます・・・!
どうしましょう!

アメリカに 日本文化の 紹介 ということで、浴衣、着物は 一応 用意しておいた方がいい、との アドヴァイスを 受けたのですが、娘は、
「浴衣は着る。でも 着物は 着付け も 出来ないから、おそらく 絶対に 着ないと 思う。」 
うん、私も そうだと 思うわ。

それに、アメリカに 持っていく 着物は、あちらで 差し上げてきてもいいと思うような 着物に すること。
決して 高価な 着物は 持たさない。
はで〜な柄 の、外人さん好み の、安〜い着物 で十分です、とのこと。

それでは、真の 日本文化は あんまり 伝わらないですね〜。
でも、いただいた お着物を 送るわけにはいかないし、これらは、やっぱりうちの 箪笥で 眠る運命 にありそうです・・・。

それとも、わたしが 拝借すればいいかしら?
若い娘用 というよりは、50代女性用 でもいいような、渋め の お品ばかりです。

posted by ふじりんご at 15:27| Comment(14) | TrackBack(0) | 日本の美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月28日

『 琵琶と能楽 』 〜能 「 蝉丸 」 鑑賞記 つづき

昨日の 「 蝉丸 」 鑑賞記 つづきです。

program10gatsu007.jpg


■始めに、琵琶演奏 「 草庵の諧(そうあんのかい) 」。 (約15分)
篳篥(ひちりき)との二重奏です。 

一日目が 笙(しょう)と、二日目が 龍笛(りゅうてき)と 琵琶との 二重奏があり、三日目の 昨夜は 篳篥と だったのです。

実は、篳篥の 生演奏は 初めて 聴きました。
葦を リードとする 縦笛の 一種である 篳篥は、かなり 太い 響きであり、琵琶を ひっぱるように 主旋律を 奏でます。

泰然と 弾かれる 琵琶の、高尚で 品格ある 雰囲気。
しかし 侘しく 無常観ただよう その音色は、上流階級貴族の 栄枯盛衰を 表わす 音色のようにも 感じられます。
また それは、 「 蝉丸 」 の 場面をも 連想される、荒れ果てた 古寺、古城で 聴いているかのような、何とも言えない 寂寥感に 溢れています。

聴衆も 身動き一つ できません。
息を 詰めるように 物音 一つ 立てずに、聴いていました。


狂言は 「 月見坐頭(つきみざとう) 」  (約35分)

中秋の 名月の 夜、目の 見えない 坐頭と 通りがかりの 男との 交流。
虫の音を 聞いて 心を 慰めている 坐頭と、隈のない 月に 蟻が 這うのまで 見えるなどと 言いながら 情緒より 酒を 飲むことを 好む 男。
打ち解けた 二人が 楽しい ひとときを 過ごし、別れて 歩いて いこうとするが、男は ふと 心変わりして、別人のような 振りをして、坐頭に いたずらする・・・。

なんとも 身勝手で 自己中心的な 人間で あることか と、鋭く 指摘する 作品です。
相手が 盲目という 設定だけに、人間の エゴとは、心の 豊かな 生き方とは、という シビアな 問いかけを 含んでおり、いつもの 「 笑える狂言 」 と違って、少々 重かったです。


蝉丸 」  (約90分)

@ 第一の 場面・・・ 蝉丸 の 登場
蝉丸が 盲目なるがゆえに、出家させられ、逢坂山に 捨てられる、と言う場面です。
前世の 業を 果たし、来世において 救われんがために、仏門に 入るようにと いうのが 父帝の 意思。
そこに 親の 慈悲を 感じ、運命を 甘受し 忍耐しようとする 蝉丸の 姿は、仏教的諦観とはいえ、涙を 誘います。
一人 逢坂山に 残されて、寂しさから 琵琶を 抱きしめて 涙する 蝉丸の 孤独感が 痛いほどに 伝わってきます。

A 第二の 場面・・・ 逆髪 の 登場
逆髪の 登場。逢坂山までの 道行。
貴賎、貧富、美醜など 二面性を 語りつつ、狂人となって 彷徨する 我が身に 一種の 諦観を にじませつつ、しかし 華やいだ 開放感も 感じさせます。

B 第三の 場面・・・ 姉弟 の 再会 と 別離
近くの 藁屋から 美しい 琵琶の音が 聞こえてきます。
不思議に 思った 逆髪が 藁屋を 覗いてみると、それは まぎれもない 弟宮の 蝉丸。
二人は 再会を 喜び合いますが、貴族社会に 背を 向ける 自分たちの 不運を 嘆き、互いに 慰めあうばかり。
そして、別れ。
これから 先に 何一つ 希望の 持てない 暗く 悲劇的な 終末が 見えるようで、ここでも また 見るものの 涙を さそいます。
何処とも 知れず 去って 行く 逆髪の ゆくえを、見えない 眼で いつまでも 見送り続ける 蝉丸・・・。


悲劇性の 強い 作品は、事実、 「 重い 」 「 暗い 」 「 きつい 」・・・の鑑賞と なりました。

ぐーっとくる 悲しい 場面は、完全に 引き込まれますが、途中、姉弟の やりとりが 続く場など、不覚にも うとうとしてしまう時が ありました。

今回の 「 蝉丸 」 は、観世流を 代表する 三人が 交互に 、シテ、ツレを演じ、地謡も 交代で・・・という話題性が ありましたので、楽しみに していたのですが、
作品 そのものの 動き、所作、内容は、おそらく 上級者向け であろうと 推察いたします。


能鑑賞初心者の ふじりんごの 独断と偏見による 勝手な 推察でした!

終演後に写真を何枚か撮りました。 

左上:能舞台      右上:ロビー
左下:中庭       右下:売店

CIMG0161.JPG  CIMG0163.JPG 

CIMG0164.JPG  CIMG0165.JPG 
 




posted by ふじりんご at 15:52| Comment(10) | TrackBack(0) | 日本の美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月27日

『琵琶と能楽』〜能「蝉丸」鑑賞記

今夜は、国立能楽堂にて お能鑑賞です。

能 「 蝉丸 」 を 観世流の シテ方 3人が、シテ ( 逆髪 ) 、ツレ ( 蝉丸 )を 交互に 務める というものです。
つまり この 「 蝉丸 」 は 3日連続で 演じられるのです。

一日目   逆髪:観世清和   蝉丸:観世銕之丞
二日目   逆髪:梅若六郎   蝉丸:観世清和
三日目   逆髪:観世銕之丞  蝉丸:梅若六郎

本日は、その三日目 ということになります。

「 蝉丸 」 は、逢坂山に 捨てられた 延喜帝の 盲目の 皇子 蝉丸と、髪が 天に 向かって 逆さまに 生えるという 奇病のため、家を 出て 放浪する 姉の 逆髪が、琵琶が 縁と なった つかの間の 再会を 逢坂山で 果たし、そして また 永遠に 別れていく・・・という 悲しい 物語です。

貴族社会の 価値に 反逆し、批判し、その社会に 背を そむける 異端の 姉弟
運命の 非情さを 嘆き、しかし 受容するのが 蝉丸。
そして 反逆するのが 姉の 逆髪。

対照的な 生き方を たどりつつも、繊細な 心の うちは 同じものを 持つ、という なんだか 悲しげで 哲学的な 命題を 含む 作品です。

観世流を 代表する 三人の シテ方の 登場だけに、とても 楽しみです。
また 琵琶と 能楽の コラボレーションという 設定は 珍しいそうですので、しっかり 鑑賞してこなければ・・・と 思っています。

ただし、他の 用事で 忙しく、着物を 着る 時間が なさそうですので、本日は 洋装で 行ってまいりま〜す。
posted by ふじりんご at 11:56| Comment(10) | TrackBack(0) | 日本の美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月05日

『 能と舞踊の饗宴 』  能と歌舞伎が一緒に・・・

昨日の 朝日新聞の 夕刊に、 『 能と舞踊の饗宴 』 の 記事が 出ていました。

能の 最大流派を 率いる 26世観世流宗家、観世清和 と、当代随一の 人気歌舞伎俳優の 坂東玉三郎 が、それぞれの 舞を 披露する というもの。


11月14日(火) 渋谷の 観世能楽堂 です。


この能楽堂で 能と 歌舞伎が 一緒に 上演されるのは 初めてとのこと、いったい どんな 緊張感を 味わうことが 出来るのか、ドキドキものですよ、これは !


演じられるのは、 能 「 葵上 」 と 地唄 「 葵の上


源氏物語を 題材にした能 「 葵上 」 は、六条御息所の 心の 中の ドラマを 具体化したものです。

光源氏の 愛人であった 六条御息所は、源氏の 心変わりにあい、正妻の 葵上に 嫉妬していた。
源氏を 想うこと 止みがたく、源氏が 供奉する 賀茂の祭 ( 葵祭 ) を お忍びで 見に行った所、後から来た 葵上達一行が 六条の 車を 押しのけ 壊すなど 屈辱を 加える。
六条は 前皇太子妃という 高貴な 身分のため、嫉妬の 気持ちを 隠してはいたが、彼女の 理性が 眠った隙に、魂は 生霊となって 葵上に 取り憑く・・・。

という お話なのですが

タイトルに なっている 葵上は、一枚の 小袖 としてのみ 登場します。
「 無駄を可能な限り削ぎ落とす 」 能の 原点を 見るような 演出なのです。


ふじりんごは 初めて 「 葵上 」 を 見た時、まだ あまり 多くの 能を 見ていなかったので、細かいところまでは 理解できなかったのですが、それでも、泥眼 ( でいがん ) という 面をつけて 苦しげで うつろ 嫉妬に 泣く 前場での シテ や、般若の 面に 換えた シテと 聖 ( ワキ ) との対決の 場面 ( 後場 )などは、初心者でも わかりやすく、悲しく 激しい 壮絶な 恋の 心情を 描く 舞台に ひきつけられたものです。


1000年前に 書かれた 源氏物語が 600年前に 「 葵上 」 となり、そして 200年前に 地唄 「 葵の上 」 となり、今 同じ 舞台で 演じられる。


それも、観世清和さん坂東玉三郎さん の 共演、競演、饗宴ですよ !

加えて、玉三郎さんは、能装束に 伝わる 「 唐織 」 の 衣装を 着る とのこと。
美しい 能装束を 見るだけでも、十分 堪能できる と言うものです。


いいなあー、見たいなあー。


能の中の ひとつでも いいから 海外の 人に 自信を 持って、 「 これはいい作品ですよ ! 」 と 解説して あげられるような 日本人に なりたいものです。



posted by ふじりんご at 18:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月28日

能楽レクチャー と 能楽鑑賞

 noubutai.jpg  
昨日は 月に 一回の 「 能楽公開講座 」 の 日。
渋谷区 千駄ヶ谷 にある 「 国立能楽堂 」 (写真上)で 無料のレクチャー を受け初めて 1年半が 経ちます。

翌月に 定例公演される 能楽演目を、テキスト、ビデオ等を使って 解説してもらうのです。

チケットを 買って 鑑賞するしないに 関係なく、高校の 古文の 授業を 受けているかのような、古典や 和歌に 接して ちょっと 知的向上心を 刺激  されるのっていいものです!

50代に 近づく頃から、日本文化を もっと身近に 感じたい という欲求が 日に日に強くなり、
きもの 」 「 茶道 」 「 」 に接する 機会を 努めて 作ってきました。


「 やっぱり 日本の ものっていいなあ〜。 」


と 思えるように なったのは ごく 最近のこと ですが。


子供時代から、京都の 神社や お寺が 大好きでしたが、日常生活で 日本文化を 意識したことは あまりなく、むしろ、欧米スタイルの インテリアや ファッションを ごく自然に 受け入れ、ハリウッドの 映画大好きな、ごく普通の 女の子 でした。

それでも、お正月に 着せてもらう 着物、初詣で 賑わう 神社、お茶の 先生を している 母が 主催する お茶会お抹茶を いただいたり、四季折々の 年中行事も 大好きだったし、
どちらかというと 「 和もの好き派 」 に属する ふじりんご ですから、
今になって ようやく 奥の 深い 日本文化を じっくりと 味わえる 器が できてきたっ てことでしょうか。


今回の演目は

能 「 百万(ひゃくまん)

三吉野の 僧が 西大寺辺で 拾った 子供を 連れ、嵯峨の 大念仏に やって来ると、女物狂に 会った。女は 百万 といって 行方不明の 我が子を 捜して 都へ 来たのだった。子供は それが 自分の 母と 気付き、めでたく 再会して 帰って 行く。


という お話と、 狂言 「 止動方角(しどうほうがく)

物凄く 嫌なヤツ! な主人から 「 人から 物を 借りて きてくれ! 」と 言われて、シブシブ でかける太郎冠者。で、何とか 様々な 物を 借りてきたのに、散々 文句を いう 主人に 太郎冠者が 仕返しを する、と言う お話です。 


お能は、数を こなして 見なければ なかなか 理解 できません。
ふじりんご は 毎月 一回の 鑑賞を 自分に 課していますが、まだまだです。


今までに 見たのは、

能では

「藤戸(ふじと)」        「右近(うこん)」 
「紅葉狩(もみじがり)」     「楊貴妃(ようきひ)」 
「融(とおる)」         「芭蕉(ばしょう)」  
「竹生島(ちくぶしま)」     「頼政(よりまさ)」 
「是界(ぜかい)」        「通盛(みちもり)」
「錦木(にしきぎ)」       「草紙洗(そうしあらい)」  
「船弁慶(ふなべんけい)」    「葵(あおい)」

 
狂言では

「 附子 (ぶす) 」        「 隠狸 (かくしだぬき) 」
「 仏師(ぶっし) 」        「 寝音曲 (ねおんぎょく) 」
「 二人袴 (ふたりばかま) 」   「 鎌原 (かまばら) 」
「 止動方角 (しどうほうがく) 」 「 無布施経 (ふせないきょう) 」
「 昆布売 (こぶうり )」     「 独り松茸 (ひとりまつたけ) 」
「 右流左止 (うるさし) 」    「 盆山 (ぼんさん) 」
「 棒縛 (ぼうしばり) 」     「 首引 (くびひき) 」
「 鬼の継子 (おにのままこ) 」

でも、正直 まだまだ ぜ〜んぜん よくわからない。


さて、昨日は 国立能楽堂で 公開講座を 受けたあと、
電車で 移動して 青山の 銕仙会(てっせんかい)能楽研修所へ。
tessennougakudou.jpg


まずは、近くの ガラス張りの すごく おしゃれな お店(写真)で 軽く 夕食を 食べてから。
aoyamacafe.JPG


目指す 能楽堂が、表参道の プラダカルティエ という きらびやかな ブランド店の すぐ 向かいに あるなんて 知らなかったから ビックり!
pradabuil.JPG   cartierbuil.JPG


それも 外観は とても モダンな 建物で、中は こじんまりとした すごく 雰囲気の ある 能舞台だったので、 「 こんなところになんで〜 」 と またまた ビックリ。

国立能楽堂 みたいに 大きくないから、声が よく通り、程よく 響くので、舞台上の 演じ手の 空気が ダイレクトに 客席に 伝わるのです。

言い回しが 良く 聞こえる分、感動も 理解度も ぐっと アップしたので 嬉しかったです。

また 行きたいなと 思う 場所 でした。

50代を 迎えて、日本の 美を 再認識したいと 強く思う 今日この頃です。


タグ:能楽
posted by ふじりんご at 01:14| Comment(2) | TrackBack(1) | 日本の美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。